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玉三郎の剣禅珍道中

毒親育ちでかつてデブオタニートだった男が坐禅や居合道などに挑み、痛い目に合ったり自分の自分のダメさ加減にがっかりしたりするブログ。

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座禅を行うことのモチベーション



雪が降っていたため行くのを止めようかなどと躊躇いつつも、
カッコいい自分で居たいのでという理由で今日も円覚寺へ向かった。
堂内は寒かったが、昔言われた「自分があるからだ」という言葉を思い出し、
呼吸に集中しようとするも、やはりいつもより長く感じた。
だが寒い中行った甲斐が有り、良い話を聞けた。

京都の南禅寺という寺は元々は天皇家の離宮だったが、
怪奇現象が起こるので祈祷をしたが効果が無かったが、
無関普門という禅僧が雲水を引き連れて座禅を行ったら出なくなった。

怪奇現象はネガティブな心が生み出したものだ。
無心で座禅をしている人が集まると場が清められる。
大切なのは座禅を行うことのモチベーションである。
憎しみ、妬み、優越感などを持って行うとそれが出てしまう。
坐禅は無心で行うものである。モチベーションを見直す必要がある。
心の部分を見極めながら行うこと。そうでないと悪い方向に向かう。

怪奇現象云々は現代では迷信だが、昔の人にとっては現実的な問題だっただろう。
そういう中でも無心で居れば、スルーして普通に生活することが出来た。

法句経のこんな一節を思い出した。
「われらは、ここにあって死ぬはずものである」と覚悟をしよう。
―――このことわりを他の人々は知っていない。
しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる」

凄い人、偉い人になるために坐禅をするのではなく、
偉くもなく凄くもない自分を受け入れるためにやるのである。
お釈迦様は全てを捨てて生きた方である。それを見習うのが仏教のはず。

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