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玉三郎の剣禅珍道中

毒親育ちでかつてデブオタニートだった男が坐禅や居合道などに挑み、痛い目に合ったり自分の自分のダメさ加減にがっかりしたりするブログ。

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囲碁を始めてみた

坐禅は鎌倉武士の嗜み、居合は江戸武士の嗜みである。
それならその間の室町武士(戦国武将)の嗜みもやりたい。
だが、茶道、鷹狩、能、連歌、蹴鞠。どれも敷居が高い。
仕事と居合、座禅と両立出来る趣味は無いだろうか…

あった。囲碁である。
戦国武将の逸話でも囲碁は頻繁に登場する。
将棋ほどでは無いが囲碁も盛り上がっている。
詰碁を解いたり囲碁ソフトで自分のペースで出来る。
坐禅で感覚、居合で身体を鍛え、囲碁は頭脳を鍛えられる。

日本金には入門会員という制度が有り、
半年間2750円で教材一式とその他の特典が受けられるらしい。
なかなかお得では無いだろうか。後はちゃんと続けられるかだ。
https://www.nihonkiin.or.jp/member/nyumon.html

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念の一道


居士林首座様は内田一道という方で、本名の読み方を変えて居士号になったとのこと。

円覚寺管長の横田南嶺老師がしばしば引用する坂村真民さんという詩人が、
念の一道という本を出版されていたそうで、表紙には一本の道の左右に火と水が描かれている。
水は欲望、火は怒りを表しているらしい。人生の落とし穴は怒りと欲望であり、
とらわれずに上手くバランスを取りながら真っすぐ行くことが大事である。とおっしゃっていた。

私は長年座禅をやっているからもはや座禅にも怒りにもとらわれない。
ケンタッキーフライドチキンを無性に食べたくなりついつい二個食べた。
欲望にとらわれているじゃないかだと?ふざけるな!

華厳の世界


円覚寺は実は元々は華厳宗のお寺だったらしい。

「円覚寺は元寇で戦死した将兵を弔うために建てられた」
というのが通説だが、三井記念館の館長さんによると、
元寇の一年後には大規模の寺が建てられるはずが無く、
実はその前から建てられることが計画されていたに違い無く、
その場所に円覚経という華厳経を元に作られたお経が発見され、
それが縁で北条時宗公が建てたという説が有力で、
実は本尊の宝冠釈迦牟尼如来も廬舎那仏だったとのことで、
元々は臨済宗ではなく、華厳宗のお寺だったそうだ。

そういう縁があり、居士林首座様も華厳経を勉強しておられるとのこと。
華厳経はグローバル化の世界に必要な内容が説かれているそうで、
一度現実世界は空だとしたうえで理想世界を説いているらしい。
学者の書いた本は難しいが、色々な人がインターネットに書いてあるので、
勉強してみると良いとおっしゃっていた。

自分はこういう社会・世界を作りたいというイメージを持つことが大事で、
華厳の教えを調べて、そこに一致するように座禅する必要があるとのこと。
坐禅をしてとんでもない方向に向かう人もあるらしいので気を付けないといけない。

座禅を行うことのモチベーション



雪が降っていたため行くのを止めようかなどと躊躇いつつも、
カッコいい自分で居たいのでという理由で今日も円覚寺へ向かった。
堂内は寒かったが、昔言われた「自分があるからだ」という言葉を思い出し、
呼吸に集中しようとするも、やはりいつもより長く感じた。
だが寒い中行った甲斐が有り、良い話を聞けた。

京都の南禅寺という寺は元々は天皇家の離宮だったが、
怪奇現象が起こるので祈祷をしたが効果が無かったが、
無関普門という禅僧が雲水を引き連れて座禅を行ったら出なくなった。

怪奇現象はネガティブな心が生み出したものだ。
無心で座禅をしている人が集まると場が清められる。
大切なのは座禅を行うことのモチベーションである。
憎しみ、妬み、優越感などを持って行うとそれが出てしまう。
坐禅は無心で行うものである。モチベーションを見直す必要がある。
心の部分を見極めながら行うこと。そうでないと悪い方向に向かう。

怪奇現象云々は現代では迷信だが、昔の人にとっては現実的な問題だっただろう。
そういう中でも無心で居れば、スルーして普通に生活することが出来た。

法句経のこんな一節を思い出した。
「われらは、ここにあって死ぬはずものである」と覚悟をしよう。
―――このことわりを他の人々は知っていない。
しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる」

凄い人、偉い人になるために坐禅をするのではなく、
偉くもなく凄くもない自分を受け入れるためにやるのである。
お釈迦様は全てを捨てて生きた方である。それを見習うのが仏教のはず。

一本目

稽古始めは古流の練習をしたが、
本日は基本中の基本をやることになった。

制定居合の一本目である。
この技は全ての基本となる動作を含んでいる。
基本中の基本だから完全に出来ている…
と言いたいところだが、色々と指摘点があった。

技の順序は十二本全て覚えて間違えなくはなったが、
細かい部分が出来ていなかったのである。
やはり居合の道は長く険しい。

先生はやっていれば上手くなると仰ってくれた。
才能は無いのは分かっている。
だがやればやった分だけ良くなる。
参や竟に魯を以て之を得たり。
(曾子はのろまだったから手に入れることが出来た)

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