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玉三郎の剣禅珍道中

毒親育ちでかつてデブオタニートだった男が坐禅や居合道などに挑み、痛い目に合ったり自分の自分のダメさ加減にがっかりしたりするブログ。

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呼吸は自然に行う


呼吸は自然に行うのが大事であり、
角にするのは体にも良くない。
深くするというのは普段の呼吸を丁寧にし、
コントロールすることも離れて、
呼吸や心を観察したりして、
自然な自分をみつめることが大事
ということを居士林首座様は話されていた。

居合と似たようなことを言われたし、仕事にも通じる。
やはり座禅は全ての道に通じるのだな。と実感した。

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及ばざるは過ぎたるより勝れり


自主稽古の時、足を開きすぎるというご指摘を受けた。
焦って丁寧さが失われるというのもあるのだが、
私はやり過ぎて加減を知らないという欠点もあるようだ。
丁寧にというのと合わせて家康公の人生訓に倣う必要がある。
携帯の待ち受け画面にすることにした。

円覚寺土曜座禅会~気づかないこと~


座禅中、居士林の前を通った人の話し声が聞こえた。
当人たちは二人だけの話だと思っているが、
実は50人もの人に聞かれていた。気が付いていなかった。

終了後に首座様はそれについて話されていた。
座禅は話し声が聞こえてもイライラしないためにやるものではなく、
イライラすることを起こりうるものとしてとらわれないことが大事。
心の外と心の内の現象を冷静に眺めているのが座禅。
ただ、気が付くということは大事で人が気づかないうちに傷つけている。
早いうちにやめることが大事だがそれにとらわれ過ぎてもいけない。

とらわれないことと気づくこと、両方とも矛盾した存在では無いはず。

納刀の練習

先生に指導していただき納刀の練習をした。

合谷(親指と人差し指の間の部分)に峰を押し付け、
鞘を中指と薬指の間で包むように持って引きながら納刀する。

やり方は分かっていたのだがついつい早くやってしまうため、
納刀がきちんと出来ていないと言われていた。
ゆっくりやっていたら上手くなったと言われた。

丁寧にやれば大抵のことは上手くいくのである。
仕事でも何でもそうだ。居合は生きるために役に立つ。

さらにさらに振り出しに戻る



円覚寺の土曜座禅会に参加した。
色々な座禅会に参加してきたが、
ここが私が一番最初に坐った場所だ。
井戸端、「救如頭燃」の額縁、不動明王像。
居士林は何も変わっていなかった。
禅の世界に憧れ門を潜った時の気持ちを思い出す。

一般人向けに座禅指導をしておられる
居士林主事様もお元気そうだった。
坐り方に関してこんなお話が聞けた。

・法界定印が崩れるのは心が崩れていることである
・座相は揺らぐものである。固く揺らがないようにすると
考えも固まり、現実主義になってしまう
・年相応の座相が有り、背骨が真っ直ぐなら良いというものではない
・山登りなど違うことをやった後は違う座禅が出来る
・自分の座相を鏡で見てみると色々分かるかも知れない



良く見ると入口にかかっている警策に管長様のお言葉で、
「背骨を真っすぐに」と分かりやすい現代語で書かれていた。
変わっていないようで色々と変わっていた。

考えてみると当然で、仏教の根本思想は「諸行無常」である。
禅宗の座禅は元々門外不出だったが、一般に開放したのが円覚寺だ。
時代が変わっても変わっていないのは変わっているからなのだ。
どこかで「変わってない」と言われる人は実は変わっていて、
本当に変わっていないと「ダメになった」と言われると聞いたことがある。

常に進化し続けるから時代に適応し、「変わっていない」と評価されるのだろう。


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